信楽焼 陶芸家 勝尾龍彦

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  加藤淡斎先生から習うお花はお茶花で、いわゆる華道とは、全く印象が異なるものでした。心惹かれました。何より淡斎先生に惹かれました。

  淡斎先生はよく私をお花取りに連れて行って下さいました。「私の運転手になりなさい。」そう言って、備前や唐津、伊賀。いろんな陶芸家の陶房にも連れて行って下さいました。

  「向こうが聞いてくるまで、名乗るなよ。京都の勝尾青龍洞の息子やと言ったら、みんな隠しよるからな。わしの心やすいところばっかりやから、どこもズケズケと入って行って、陶房でどんな道具をつことるか、どんなもんを土でやっとるかを見て帰れ。」
最後の最後になって、「それで、こちらの若い方はどちらさんですか?」となり、淡斎先生が、「勝尾青龍洞の息子やがな。勉強について来さしてるんや。」とおっしゃる。私は傍らで、「へへへ。」お茶目な淡斎先生との楽しい思い出です。

  22歳の時、展示会というものに、初出品のチャンスを下さったのも淡斎先生です。大・中・小の花器を出展することになったのですが、値段のつけ方が分かりません。途方にくれていると、「わしがつけたる。初出品やし、めでたいから、七五三。大きいのから、7万、5万、3万。こんでええやろ。お前はしばらく、10年は、この値段を崩すなよ。この値段から上げるな。辛抱せい。みんなに安く買ってもらって、ファンをたくさん、つくれ。」と教えていただきました。

  展示会が始まれば、毎日会場に足を運んでくださり、何時間もいてくださる。花器が売れた時、「わしがこの作品に銘をつけたる。墨と筆、持ってこい。」と言って、ぱーっと上手に、花器の絵を色紙に書かれるわけです。「これは、○○という―。」と言って、サインをして、「これをつけたれ。」と。お客さんは、それはそれは、感激されました。

  そんな淡斎先生から、今度は茶道に導かれました。「この子はお茶の先生で飯食う子と違うから、免状はいらない。でも、どこ行っても恥かかないようにだけ教えてやってくれ。」とご紹介いただき、私は、京都の門跡尼寺の最上位に位置する大聖寺の門を叩くことができました。

  淡斎先生からのお導きがなければ、今の自分はなかった。そうはっきり感じるのです。

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